試験中に号泣した大学受験

今週のお題「試験の思い出」

 

 私が大学受験をしたのは今から2年前の2021年の2月頭。私は中高一貫校に通っており、エスカレーターで大学に行けることが確定していた。しかし、私は返済不要の奨学金を得るために、毎日13時間必死に受験勉強をした。高校受験がなかったため、高校2年生まではまともに勉強をしてこなかった。そのため、人の何十倍、何百倍も勉強する必要があった。この返済不要の奨学金を得るためには、一般入試で3科目全て80点以上取らなければならず、且つその中で、上位100人に入らなければならなかった。この大学は偏差値が低く、滑り止めで受ける人もたくさんいた。その状況の中、奨学金を得ることは私にとってはとてもハードルが高いものであった。私は予備校に通い始め、週7日、毎日勉強しに行った。高校3年生の夏休みに赤本を解いてみたが、英語と国語は50点、日本史は30点しか取れなかった。この現実から「このままでは奨学金を得ることができない」と自覚し、起きてる時間、常に勉強をするようになった。

 休日は4時半に起床し、日本史の暗記と英語の音読をした。8時になると、YouTubeで日本史の授業を見ながら朝食を食べた。9時半に英語を聴きながら予備校まで行った。そこで11時間勉強し、帰宅後は1日の勉強の復習をした。睡眠中はずっと英語の音源を流していた。

 振り返ってみると、1日13時間勉強をするなんて過酷すぎて、今やれと言われても絶対にできない。私はストレスで5キロ痩せた。またずっと椅子に座っていたため、腰を痛め、病院に通院した。

 そんな中、冬休みには過去問の点数が徐々に上がってきた。しかし、過去15年分の過去問を解いたが、3科目全部8割以上取れたことはなかった。日本史に関しては、一度も6割以上すら取れたことがなかった。

 私は「努力は必ず報われる」と信じていたし、負けを認めることや途中で諦めることが大嫌いだったので、受験当日まで諦めずに努力し続けた。高校3年生はコロナ禍であったため、37度以上の熱があると、公欠扱いになった。それを上手く利用し、私は学校に行かず予備校に行き、受験勉強をした。

 ついに受験当日。受験日は3日間あった。3日間それぞれ3科目受験した。つまり私には奨学金を得るチャンスが3回あったのだ。1日目、ドキドキの中、テストを終えた。緊張のせいなのか手応えを全く感じなかった。2日目は1科目目である国語が難しく、それに引きずられ、英語も日本史もうまく行かなかった。やばい。あとは3日目しかない。そんな思いの中、受験最終日を迎えた。1科目目の国語、2科目目の英語。問題がとても易しく、これはいけるのではないか、と感じた。3科目目の日本史。私は絶望した。1日目、2日目の難易度とは全く異なり、一気に難しくされていた。私は日本史の試験が始まり、問題を見た瞬間から、涙が出始めた。今までの受験勉強に費やした時間はなんだったんだ。予備校にかかった費用は全部無駄になってしまったではないか。内部推薦の友達が遊んでる中、自分だけ一生懸命勉強してきた意味はなんだったんだ。色んな感情が込み上げてきて、マスクの中が涙と鼻水でいっぱいだった。試験時間が終了し、解散する時、近くに座っていた私の知り合いが、「生物めっちゃ簡単だった!私は今回全部8割取れた気がする!」と話しかけてきた。私はそれを聞いて、更に涙が溢れた。家に帰っても、号泣した。両親にも号泣しながら、そのことを説明した。母からは「がんばったことに意味がある。結果がどうであれ、挑戦したことが偉い」と慰めてもらった。私は、この努力を無駄にするのか、それとも活かすのか自分次第だ、受験勉強を通して得たことを今後、活かしていけばいいんだ!そう思い、気持ちを切り替えた。

 合格発表の日になり、私は一応結果を確認した。1日目から順番に見始めると、なんと1日目で奨学金の対象者になっていた。私は目を疑った。信じられなかった。気がつくと涙が溢れていた。私の今までの努力は無駄じゃなかったんだ。努力は必ず報われるんだ。そう思った。これ以降、私は目標に向かって努力し続けることの大切さを学び、途中で辞めそうになっても、受験勉強のことを思い出し、続けるようにしている。